<芝 川>
裾野行き身延の山を登り行く

 

 芝川町は、富士の裾野にある町である。町の東部に芝川が流れている。
 芝川は、富士山西麓、朝霧高原に源を発し、西の天守山地から流れてくる水や猪之頭、白糸の滝に湧く水を集めて南流する清らかな川だ。水温は低い。
 身延の山を目指して歩む日蓮と、随伴の人々は、芝川のほとりで一息ついたことだろう。
 この辺りから、富士は間近に見ることができる。日蓮は伴の者たちと、富士出現の伝説などを、こもごも語り合ったのではなかろうか。
 富士山成立に関する伝説は多い。
 鎌倉時代に編さんされたとされる「皇代記」等には、富士出現の時を、孝霊天皇(紀元前三世紀?)の代とし、近江(滋賀県)の琵琶湖の部分が落ち込んで、湖水ができると同時に、富士が現れたと記している。
 またある説には、海中から湧きだしたとか、天竺から飛んできたとする説もある。古き時代の人々の想像力は、素朴でしかもおおらかだ。
 日蓮の当時、富士は噴煙を上げていたであろうか。
 「海道記」の貞応二年(1223)四月十四日の条に、煙が消えていることが記され「東関紀行」の仁治三年(1242)八月十日のくだりには、煙がたなびいていることが記されている。「十六夜日記」の弘安二年(1279)十月二十六日の記述からは噴煙の休止を知ることができるであろう。
 日蓮は、富士の裾野を過ぎて、その夜は南部に一泊。翌朝、波木井の郷に入ったのであった。

 

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(身延山)


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