前頁 目次 次頁

日本の民謡 曲目解説<岐阜県>

----------------------------------------------------------------------
「お婆々(岐阜音頭)」(岐阜)
    《お婆々どこ行く 三升樽さげて 嫁の在所へ 孫抱きに》
  酒席の祝い唄。婚礼、出産祝い、新築祝いなどで唄われる。中山道の宿場町
・中津川や恵那の花柳界でお座敷唄化した。ひゅるひゅるひゅーの囃し言葉で、
人気を集めた。宴席の打ち上げ唄とされている。
            ◎坪井 三郎APCJ-5041(94)
            ○金沢  明子VICG-2066(91)
----------------------------------------------------------------------
  「郡上踊り(郡上節)」(岐阜)
     「川 崎」
       《郡上の八幡 出て行くときは 雨も降らぬに 袖しぼる》
     「げんげんばらばら」
       《げんげんばらばら 何事じゃ 親もないが 子もないが
           一人貰うた 男の子 鷹に取られて 今日七日
           七日と思えば 四十九日 四十九日の 墓参りに
           叔母どころへ ちょいと寄りて 羽織と袴を 貸しとくれ
           あるもの無いとて 貸せなんだ おっ腹立ちや 腹立ちやら
           腹立ち川へ 水汲みに 上では鳶が 突つくやら
           下では烏が 突つくやら 助けておくれよ 長兵衛さん
           助けてあげるが 何くれる 千でも 万でも 上げまする》
     「騒 ぎ」
       《呑めよ 騒げよ 一寸先ゃ闇よ 今朝も 裸の 下戸が来た》
     「三 百」
       《今年初めて 三百踊り おかしからずよ 他所の衆が》
     「甚 句」
       《櫓太鼓に ふと目を覚まし 明日は どの手で 投げてやろ》
     「春 駒」
       《郡上は馬どこ あの磨墨(するすみ)の 名馬出したも 気良(けら)の里》
     「猫の子」
       《猫の子が よかろ 猫で幸せ ねずみ捕る》
     「松 坂」
       《もひとつしょ 合点と声が かかるなら
        これから文句に かかりましょ》
     「やっちく」
       《私がちょっと出て べんこそ(生意気)なけれど
           わしは山家の炭焼きなれば お見かけ通りの若輩なれど
           声も立たぬが文句も下手よ 下手なながらも一つは口説く
           口説くに先立ち頼みがござる とかくお寺は檀家衆が頼り
           やせ畑作りは肥やしが頼り 村の娘たちゃ若い衆が頼り
           そしてまた若衆は娘さんが頼り 下手な音頭さんはお囃し頼り
           よいさかよいさかとお囃し頼む 調子が揃えば文句にかかる
           かかる文句を何よと聞けば》
  郡上(ぐじょう)は長良川の上流、岐阜県の中央部にあり、大部分が山地で、
美濃南部と越前・飛騨の接点に位置する。郡上郡の中心・八幡町(はちまんち
ょう)は、古くから交通の要地であった。郡上八幡の藩主は、お盆になると、
士農工商の別なく共に楽しむ踊りを保護、奨励したという。7月16日の天王
祭から9月10日まで踊られている。郡上踊りには「川崎」「三百」「甚句」
「春駒」「松坂」など九種類あり、最も有名なのは川崎。その名は「川崎音頭
(伊勢音頭の一種)」の名が残ったらしく、前奏の三味線の手は「川崎音頭」を
そのまま用いている。
   「郡上踊り」(川 崎)            ◎川崎  瀧道COCJ-30338(99)
   「郡上踊り」(げんげんばらばら) ○藤堂 輝明COCF-11371(93)
   「郡上踊り」(三 百)            ◎坪井  三郎、古井戸道雄APCJ-5041(94)
   「郡上踊り」(春 駒)            ○坪井  三郎、古井戸道雄APCJ-5041(94)
   「郡上踊り」(猫の子)           ○伊藤多喜雄32DH-5123(88)
   「郡上節」                   ◎川崎瀧雄VDR-25243(89)
----------------------------------------------------------------------
  「高山音頭」(岐阜)
    《飛騨の高山 高いと言えど 山も高いが 名も高い》
  かつては「吉左右(きっそう)踊り」と呼ばれていた盆踊り唄。昭和4(1929)
年「高山踊り」と改め、その唄を「高山音頭」と呼ぶ。高山城主・金森法印長
親は、豊臣秀吉の文禄の役(1592)に随ったが、陣中から勝利の吉報を故郷に知
らせた。土地の人々は、それを祝って唄い始めたのが「吉左右踊り」である。
しかし、この唄はそれほど古いものではなく、せいぜい江戸中期以後の唄とさ
れている。現在の節回しは同地の保浅太郎のもの。4月に行われる日枝神社山
王祭(春祭)と10月に行われる八幡宮の八幡祭(秋祭)は、祇園祭や秩父祭と共
に代表的な山車祭として知られる。秋祭では、百個以上の提灯に灯をともした
山車が闇に浮かび、古い家並みが残る高山の町内を巡行する。
            ◎吾妻栄二郎CRCM-10023(98)
            ◎竹田  利吉COCF-9311(91)
----------------------------------------------------------------------
  「飛騨の子守唄」(岐阜)
            ○三橋美智也KICH-2187(96)
----------------------------------------------------------------------
  「飛騨やんさ」(岐阜)
    《やんさ踊りが 今始まるぞ 婆さ出てみよ 孫抱いて》
  飛騨全域に伝わる古い盆踊り唄。平湯温泉で生まれ、平湯峠を行き来する人
々によって唄われた。踊りが陽気ではつらつとしていて、「高山音頭(踊り)」
の優雅さと対照的。
            ○田口 真一APCJ-5041(94)
----------------------------------------------------------------------
  「古川ぜんぜのこ」(岐阜)
    《音に名高い 古川祭り 起こし太鼓の 勇ましさ》
  銭や食べ物がなくても平気だとの意味。「ぜんぜのこ」とはお金、「まんま
のこ」はご飯のこと。吉城郡古河町に古くから伝わるお座敷唄。同じ古川の盆
踊り唄である「松坂踊り」をお座敷化したものといわれ、宴席やめでたい席で
は必ず出される。
            ○神谷美和子APCJ-5041(94)
----------------------------------------------------------------------
  「ほっちょせ」(岐阜)
    《ここは山家じゃ お医者は無いで 可愛い殿さを 見殺しに》
  囃し言葉からの曲名。「中津川甚句」ともいう。岐阜の花柳界で盛んに唄わ
れている。上の句と下の句が同じ節で、単純な甚句の一種。一時は、かなり広
く唄われていたようだが、木曽節の本場である長野県西筑摩郡福島町でも、大
正の初め頃まで盆踊りに使われていた。馬篭(まごめ)から険しい山道が続く木
曽路のホトトギスは、ホッチョカケタカと鳴く。その声がいつしかホッチョセ
となり、囃し言葉になった。
            ◎神楽坂鈴丸CF-3459(89)
----------------------------------------------------------------------
----------------------------------------------------------------------
前頁 目次 次頁
Copyright (C) 2000 暁洲舎 All rights reserved.

-->