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日本の民謡 曲目解説<青森県> と〜わ
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  「道中馬方節」(青森)
    《一夜五両でも 馬方いやだ 七日七夜の 露を踏む》
  東北は馬所。毎年各地で開かれる馬市に、博労が十頭から二十頭の馬をひい
て往来した。馬の数が多いため、移動は交通のじゃまにならない夜のうちに行
われた。その道中に唄ったのが「馬方節」で、本来、郷土差はなく、特定の人
の節回しが有名になると、その人の出身地をとって「××馬子唄」と呼ばれた。
黒石から秋田へ抜ける矢立峠(羽州街道)を往来する博労たちが唄っていたも
のを成田雲竹が習い覚え、その節回しが定着したもの。昭和12(1937)年頃に
レコード化。当時は「馬方節」だったが、昭和15(1940)6年になって、八戸
の上野翁桃などが唄う「馬方節」が「道中馬子唄」と呼ばれて人気が出ると
「道中馬方節」と改名された。
            ◎浅利  みきCOCF-9302(91)
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  「十三の砂山」(青森)
    《十三の砂山 米ならよかろ 西の弁財衆にゃ ただ積ましょ ただ積ましょ
      弁財衆にゃ 弁財衆にゃ 西の 西の弁財衆にゃ ただ積ましょ
   ただ積ましょ》
  十三湖(じゅうさんこ)辺に伝わる盆踊り唄。”酒田高野の浜米ならよかろ、
西の弁財衆にただ積ましょ”と唄う「酒田節」が十三港に伝えられた。それに
元禄時代の「投げ節」にみられる返しが付けられて盆踊り唄となった。元禄1
3(1700)年、十三村は、津軽家五代・信寿の土佐守任官を機に「トサ」を「ジ
ュウサン」と呼ぶようになる。鎌倉から室町時代には日本七港の一つとして、
松前通いの船が寄港。上方文化を移入する玄関口としても栄えた。興国元年
(1340)8月、大津波が村を襲う。港は土砂で埋まり、村はさびれた。弁財衆は、
取り引きに関する全ての権利を与えられた船頭の敬称で、中世の弁財使をもじ
って呼ばれた。昭和26(1951)年、文部省主催の全国郷土芸能大会に出場した
成田雲竹は、相三味線の高橋竹山(1910-1998)の手を借り、今日の形に編曲し
て発表した。
  大沢、今、中村の演唱は、土地の匂いを感じさせる。
            ◎成田  雲竹COCF-9302(91) COCJ-30668(99)
            ○山本  謙司CF30-5003(89) TOCF-5012(92)
            ○大沢ちせ、今 セツ、中村なみえK30X-216(87)
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  「ナオハイ節」(青森)
    《寺の和尚さま 日蔭の李 日陰の李 赤くならねにゃ 落ちたがる》
  北津軽郡相内村の盆踊り唄。津軽民謡で最も古い唄のひとつで「坊さま踊り」
とも言われ、念仏踊りの系統である。ナオハイはナオライに通じ、仏事が終わ
った後、お供物を降ろして頂く酒宴の唄になった。
            ○村上とみ子APCJ-5032(94)
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  「南部牛方節」(青森)
    《ここはどこよと 尋ねて聞けば ここは三戸の 黄金橋》
  旧南部領三戸地方の牛方が、牛をひいての道中に唄った牛追いの唄。牛方た
ちは、八戸港で陸揚げされた塩や魚、雑貨などを牛の背に積み、馬淵川沿いに
西に進んで秋田県鹿角(かづの)郡に入った。戻りには、鹿角郡の鉱石などを積
んで帰っていった。牛を追いながら、牛の子守唄代わりにしたり、牛方の孤独
な気持ちを紛らわせるために唄った。岩手県下の「南部牛追い唄」は、沢内か
ら盛岡や北上へ出てくる時の唄で、東北本線を中心に西側が「南部牛追い唄」
の節回し、東側と三戸方面が「南部牛方節」の節回しとなる。
            ◎成田  雲竹COCJ-30667(99)
            ◎岩花  賢蔵COCF-9304(91)
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  「(津軽)南部馬方三下り」(青森)
    《明日のお競(せ)りに 夜道をかけて 峠三里を 唄で越す》
  旧南部領から岩手県最北部の九戸(くのへ)郡、二戸(にのへ)郡の農山村を回
ってくる瞽女や座頭など、盲目の遊芸人が唄ってきた。江戸時代末、長野県北
佐久郡追分宿の飯盛り女達が「馬方唄」に三下りの三味線の手を加えた「馬方
三下り」を唄っていた。それがいつしか「追分」と呼ばれるようになり、旅人
や瞽女、座頭たちが各地に持ち回る。一時は本州の西端から北海道まで広まっ
た。特に越後瞽女が鰊漁で賑わう江差行きの途次、津軽に立ち寄って置いてい
ったのが「津軽三下り」(「津軽馬方三下り」の略称)である。
            ○漆原栄美子KICX-8412(97)
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  「南部馬方節」(青森)
    《朝の出掛けに 山々見れば 霧のかからぬ 山もない》
  南部藩祖・光行は、馬を保護する政策をとり、南部駒は全国に名声を馳せた。
あちこちで開かれる馬市には、各地から博労が馬を曵いて、旅を続けながらや
ってきた。主に夜間、馬を移動したが、この馬市往復の道中に唄われた唄。東
北各地にいろんな馬方節があるが、もとは皆同じもので、各県から馬方節の名
手が出ると、いつしかその節回しで唄われた。今日ではその唄い手の出身地を
冠している。
            ○日景  寛悦COCJ-30334(99)
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  「南部追分」(青森)
    《西は追分 東は関所 関所番所で ままならぬ》
  青森県五戸地方の追分節。別名・津軽追分ともいわれる。手拍子で唄われる
馬子唄調の騒ぎ唄。
            ○山本 謙司TOCF-5012(92)
            ○川口  そよCRCM-10010(98)
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  「八戸小唄」(青森)
    《唄に夜明けた かもめの港 船は出て行く 南へ北へ 鮫の岬は 汐煙り》
  昭和6(1931)年に作られた新民謡。当時、全国各地で新民謡運動が起こり、
「ご当地ソング」が競って作られた。八戸港は南部領随一の漁港として栄えて
きたが、当時の神田八戸市長と、市の政治記者倶楽部が合作して歌詞を作り、
市長の名前で発表。”唄に夜明けた鴎の港……”の歌詞は、東京日日新聞(現
・毎日新聞)記者・法師浜桜白(直吉)が作った。曲は東北民謡の父と言われる
宮城県桃生(ものう)郡の後藤桃水(1880-1960)に依頼。桃水は、秋田県仙北郡
田沢湖村の「生保内節」をもとにして作曲。出来上がった曲は、岩手の民謡家
・大西玉子が唄い、県を代表する民謡となった。
  男声では、オーケストラの伴奏で爽快に唄う三橋美智也(1930-1996)がよい。
            ○三橋美智也KICH-2182(96)
            ◎大西  玉子CF-3661(89)
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  「八戸大漁祝い唄」(青森)
    《島の鴎さ 嫁取るときは 鰯(いわし)なますに 鯖(さば)のすし》
  漁港・八戸の酒盛り唄。魚を満載して沖から威勢よく帰港した漁師たちが、
大漁祝いの宴席で賑やかに唄う。八戸は、建武2(1335)年ごろ、甲斐の国(山
梨県)から移封された南部師行(もろゆき)が八戸城を築き、文禄元(1592)年に
廃城となったが、その後、寛文6(1666)年、盛岡藩南部直房が分封して南部藩
二万石の城下町となった。八戸港は八戸市の前面、馬淵川河口付近にあり、三
陸沖の好漁場を控えて収穫で賑わう。
            ○河原木知佐子CRCM-10010(98)
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  「八戸大漁音頭」(青森)
            ○吾妻栄二郎CRCM-40040(95)
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  「ホーハイ節」(青森)
    《婆の腰 曲がった 曲がった腰 直らぬ》
  日本民謡にほとんど類例のない裏声を使う。旧津軽領、西津軽郡森田村の盆
踊り唄「ホーハイ節」を、同地出身の成田雲竹がステージ用にまとめ、大正の
頃から紹介してきた。地元で唄われている「ホーハイ節」は、盆踊り以外に田
の草取りや山登りなどでも唄われ、唄い方も低い声でのんびりと唄うものであ
った。アイヌの唄が津軽化したのではないかともいわれている。
  極めつけの成田雲竹。津軽言葉が面白い佐藤善郎(00DG-70/3)も参考に。
            ◎成田  雲竹K30X-216(87) COCJ-30332(99)
            ○山本  謙司CF30-5003(89) TOCF-5012(92)
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  「弥三郎節」(青森)
    《一つ 木造新田の 下相野 村のはずれコの 弥三郎家》
  文化5(1808)年、西津軽郡木造(きづくり)町の森田村字相野に住む伊藤弥三
郎は、隣村の大開万九郎(おおびらきまんくろう)の娘を嫁にもらった。弥三郎
の親は嫁をいびり、弥三郎も嫁に冷たかったので、嫁は泣く泣く実家に戻る。
この話を瓦版売りが「数え唄」にして唄い歩いたため、弥三郎一家はたまらず
逃げだした。昭和26(1951)年、成田雲竹、高橋竹山のコンビが、今日の「弥
三郎節」に編曲して全国郷土芸能大会で発表。
  昭和46(1971)年、三味線伴奏・高橋祐次郎、鉦・三浦節子で、大瀬清美が
素朴な節の「旧節弥三郎節」を披露している。
            ◎成田  雲竹CF-3453(89)
            ○山本  謙司CF30-5003(89)
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  「よされ大漁祝い唄(よされ大漁節)」(青森)
    《よされよされと よさ一つとせ 高い山から 見下ろせば
   八太郎沖まで 総はみだ》
  八戸港で鰊(にしん)が大漁のとき、漁師たちが酒宴で賑やかに唄い囃した。
三陸方面でも唄われる。津軽一円で広く唄われていた七七七五調の古調「よさ
れ節」と、読み売りや心中本売りなどの物売りが唄う数え唄形式の「心中節」
とを結び付けたもの。「心中節」の節を借りて、鰯(いわし)の大漁風景を替え
唄に作り、前後に「古調よされ節」が加えられている。
            ○福士 豊秋APCJ-5032(94)
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  「りんご節」(青森)
    《春はりんごの いと花盛り 愛し乙女の 頬かむり》
 青森りんごの宣伝のために、成田雲竹(1888-1974)が作った新民謡。りんご
を題材にした「リンゴの唄」や「りんご追分」などは、一世を風靡したが、地
元からの唄ではなかった。そこで南津軽郡藤崎町のりんご生産者が成田雲竹を
訪ねて、りんごの唄を依頼。雲竹は歌詞と曲を作り、高橋竹山(1910-1998)が
伴奏を付けて、昭和29(1594)年に「りんご節」を発表。昭和36(1691)年、
雲竹の弟子・佐藤りつが、竹山の伴奏でレコードに吹き込んで評判になった。
            ◎成田  雲竹COCJ-30667(99)
            ◎佐藤  りつCF-3661(89)
            ○三浦  隆子VICG-2060(91)
            ○須藤理香子VDR-25215(89)
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  「ワイハ節」(青森)
    《米とりんごは 津軽の命 とれよ作れよ 国のため》
  津軽民謡の先覚者・成田雲竹(1888-1974)が作詞・作曲した新民謡。ワイハ
とは「オヤ!」とか、びっくりしたときに言う言葉。昭和8(1933)年、雲竹は
サイパン、テニヤン、ヤップ、モートロック、ストラックへと、9カ月にわた
る民謡行脚にでた。その間、望郷の念にかられ、津軽弁の「ワイハ」をもとに
して唄を作ることを思い立つ。富山県の「越中おわら節」を参考にして作った
と言われている。昭和27(1952)年、雲竹がレコードに吹き込み、佐藤りつな
どが唄い始めてから、次第に唄われるようになった。
            ◎成田  雲竹COCJ-30666(99)
            ◎山本  謙司CF30-5003(89) TOCF-5012(92)
            ○高橋  つやCF-3453(89)
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