<御坂峠>
晩秋の甲斐路を馬上にて相州へ

 

 秋が深まりゆく弘安五年(1282)九月八日、日蓮は身延を出立した。
 甲斐の山々は、全山、紅葉に燃え立ち、織りなす錦の美を競う。秋冷の気は天地に満ち、時折、鋭く野鳥の声が響き渡る。
 富士川に沿って北へ向かう馬上の日蓮は、足かけ九カ年住んだ身延の山を、何度も振り返りつつ、駒を進めたことであろう。
 八日の夜は、下山の兵衛四郎の館に宿泊。翌九日は下山から鰍沢へ向かった。鰍沢では。大井荘司入道のところに一泊。十一日、曽根の次郎宅から黒駒へ。黒駒から河口へは、御坂峠を越えて行く。
 御坂峠は標高1520メートル。その昔、日本武尊がこの坂を越えて甲斐に入ったことから、御坂の名があるという。現在では、国道137号線が通り、峠越えは容易だが、往時、旅人はかなりの難渋を強いられたことだろう。
 峠の頂上に、井伏鱒二や太宰治らが逗留して文筆に励んだという茶店があって近くに「富士には月見草がよく似合ふ」の文学碑が立っている。
 御坂峠からの富士は、息をのむほど素晴らしい。裾野を引いた富士の前面に河口湖が広がり、湖を近景の山々が抱きかかえるようにしてうずくまる。
 日蓮とその一行は、この景観を、どんな思いで眺めたことであろうか。峠に立つ日蓮主従の姿が、ふっと脳裏をかすめていった。

 

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