<三国峠>
難路越え配流地・佐渡に着く

 

 三国峠は上越国境にあり、名にしおう三国街道最大の難所である。
 日蓮を護送する本間家の武士達は、越後路が雪に閉ざされる季節を目前にして、佐渡への道を急いだに違いない。
 日蓮に随行するのは、日興と数人の弟子。それと、富木常忍が遣わした家人達であった。日蓮は「道の間の事心も及ぶこと莫く又筆にも及ばず」(新版p1277全p951)と、難渋を極めた佐渡への道中を、こう述懐している。
 三国峠から富士山までの距離は一五五キロある。今では、大気が澄んだ往時と違って、富士が見えるのは、年に数回しかないという。
 甲武信ヶ岳、国師ヶ岳、金峰山、瑞牆山といった二千メートル級の山々の連なりの上に、銀色をきらめかせ、諸山に屹立する富士の山。その姿は、まさに王者の風格を思わせる。
 三国峠を越えると、富士はもう見えない。日蓮は、この峠から、どんな思いを抱いて、富士を振り返ったであろうか。
 鎌倉で、さまざまな苦難に遭っている弟子・信徒の身の上に、思いをはせつつ、富士に別れを告げたことであろう。この時から約二年半の間、日蓮は富士を仰ぐことはなかったのである。
 寺泊到着が十月二十一日。依智出発から十二日の行程であった。そして、佐渡・松ヶ崎に船を着け、佐渡の地に第一歩を踏み出したのは、文永八年(1271)十月二十八日のことであった。

 

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