松葉ヶ谷

<松葉ヶ谷>
鎌倉弘教十八年間の拠点

 

 日蓮は、鎌倉東南部の名越(なごえ)にある松葉ヶ谷(まつばがやつ)の地に、草庵を結んだ。以後、竜の口(たつのくち)法難にいたる十八年間、ここを拠点として、折伏(しゃくぶく)・弘教の法戦を展開したのである。
 松葉ヶ谷の名は、そこに多くの松の木があって、谷に散り敷いていたことによるという。
 米ヶ浜に上陸した日蓮は、三浦半島と鎌倉とを結ぶ名越の切通しを通って、ここに入った。切通しというのは、山を切り開いて作った細い道である。当時、前面に海をひかえ、三方を山に囲まれた鎌倉に入るためには、七ヶ所に作られた切通しを通らなければならなかった。鎌倉が、天然の要害の地といわれるゆえんだ。
 名越は、日蓮の両親にとって、恩顧の人である領家の大尼の領地であった。大尼は、第二代執権・北条義時の次男・朝時(ともとき)の妻であるといわれ、日蓮から「領家の尼」「名越の尼」と呼ばれた人である。
 松葉ヶ谷から、鎌倉市街が一望できる。
 そして、南にのびて稲村ヶ崎になり、海へ落ちる山の向こうに、富士が美しい姿を見せる。
 日蓮が松葉ヶ谷の地を選んだ理由の一つに、富士の眺望があったのではなかろうか。日蓮は、富士をこよなく愛していたと思われる。

 

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