南無谷

<南無谷>
政都・鎌倉へ弘教に出船

 

 建長五年(1253)四月二十八日、日蓮は師・道善房の持仏堂において立宗を宣言する。日蓮は、その日の早朝、清澄山に立って、洋上遥か昇りくる太陽に向かい、朗々と題目を唱えたという。
 清澄寺における日蓮の立宗宣言は、聴く者にとって、驚天動地の出来事であった。
 これまで信仰してきた禅や念仏の教えが、すべて釈尊の正意に背いた邪義にほかならず、誤れる信仰を続ける限り、堕地獄は必定であることを聴いた彼等は、ある者は動揺し、ある者は憤激した。特に、熱心な念仏の信者であった地頭・東条景信は、日蓮を憎悪し、殺意すら抱いたのである。
 師の道善房は、愛弟子の命の危険を感じ、日蓮の法兄である浄顕房(じょうけんぼう)と義浄房(ぎじょうぼう)をつけて、日蓮を領外に出している。日蓮の苦難の日々は、開宗の日から始まったのである。
 鎌倉に幕府が開かれて六十一年。政治の中心は、既に京都から鎌倉に移っていた。
 法華弘通(ほっけぐずう)の大願を胸中に秘めた日蓮が、政都・鎌倉へ出立したのは、立教開宗の日からほどなきころであった。房総半島の西海岸、南無谷(なむや)から船を出して、海路、鎌倉を目指したという。
 南無谷は、現在の千葉県安房郡富浦町にあり、房州ビワで有名なところだ。古くは和泉沢と呼ばれていたが、日蓮有縁の地の故に、在世中から南無妙法谷と呼ばれ後に南無谷となった。
 小高いビワ畑から南無谷と富士を望む。日蓮は、富士を真正面にして、船を出したのである。

 

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