薩埵峠

<薩埵峠>
仏教各宗の肝要修得へ

 

 薩埵は菩提薩埵の略であり、悟りを求めて修行する求道者の意である。
 薩埵峠は、平家が壇ノ浦で滅んだ文治元年(1185)、峠下の漁師が網にかかった地蔵菩薩(一説に観世音菩薩)の像を山上に安置したため、この名があるという。
 当時、日本仏教十宗のうち、最も力があった天台・真言の両宗は、ともに鎮護国家を標榜し、国土の安泰を日夜、祈願していた。ところが、現実の世相は、源平の争乱に見られるように、全く逆の現証が出ていたのである。
 若き日の日蓮は、このことに大いなる疑問をもっている。
 また、世人から菩薩とも称された諸宗の指導者達の臨終が、皆一様に悪しき相を現じていること、および、仏教が各宗派に分かれ、それぞれが自宗の優越を主張して争っていることにも、疑問を抱いていた。
 日蓮の叡山修学の目的は、各宗の肝要を知るためであり、各宗が依処とする経典の優劣、更には教主釈尊の正意を見極めるためであったと言っている。
 菩薩の名を冠したこの峠は、駿河湾に急斜して面する東海道の難所である。
 法を求め、民衆救済に身を挺しゆく菩薩の道もまた、決して平坦なものではないことを思う。

 

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(大井川)


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