拉致被害者家族支援の歌

作詞・作曲:益田兼大朗(ますだけんたろう)

いつ帰ってくるの 時よ行かないで 制作の意図 プロフィール


いつ帰ってくるの

(題名をクリックするとmp3ファイルを聴くことができます。)

一.
いつの間にか 降りだした 雨が窓をたたく
涙のように 流れては 消えて行く
あの日の読みかけの 本もそのままに
あなたの 冬のコートも 壁に掛けたまま
いつ帰ってくるの
いつ帰ってくるの
あんなに愛して くれたのに
なんでもないように 雨はただ降る
冬の気配がする 秋の終りに

二.
窓の外の 赤い花も 風に散って落ちた
見るものすべて この胸は 悲しくて
あの日の 飲みかけの グラスも置いたまま
あなたの好きな あの歌 いつも聴いてます
いつ帰ってくるの
いつ帰ってくるの
あれから何度の 冬でしょう
なんにもないように 時はただ行く
冬の気配がする 秋の終りに

 

時よ行かないで

(題名をクリックするとmp3ファイルを聴くことができます。)

一.
冬の名残りの 裸木見つめ
風のざわめき 聞きながら
遠いあなたの 面影しのび
ひとりさすらい 旅路を歩く
 時よ行かないで 夢を残して
 時よ行かないで 私をおいて
悲しみはいつも そっと訪れ
涙を宿し 私を泣かせる

二.
北のさいはて 海辺の色は
墨を薄めた 別れ色
人はこんなに か弱いものか
いつもあなたの 想い出さがす
 時よ行かないで 愛を残して
 時よ行かないで お願いだから
寂しさを連れて いつもさまよう
涙を宿し 私を泣かせる

※時よ行かないで 夢を残して
 時よ行かないで 私をおいて
 悲しみはいつも そっと訪れ
 涙を宿し 私を泣かせる


「拉致被害者家族支援の歌」制作の意図

拉致被害者と家族の方々の心情、苦しみを思うとき、25年間の歳月は、暗澹たる日々であったであろう。毎日のように、新聞やテレビ報道で、家族たちの叫びや悲しみを聞くにつれ、私の胸は切なく痛んだ。
我々は同じ人間として、いったい何をしてあげればいいのか。何ができるのか。自分にできることを、できる範囲で応援してあげたいとの思いが、音楽でのメッセージとして形になった。
被害者と家族の叫びを、歌詞とメロディーに託して書き上げたのがこの歌である。私の作った歌が、ご家族や被害者の方々の心に届き、少しでも元気づけられたらと思う。またこれが、世界に訴えかける平和へのメッセージのひとつになれば望外の幸せである。

益田兼大朗(ますだ けんたろう)プロフィール

1945年1月31日、大阪府堺市生まれ。
大阪外国語大学英米学科卒。音楽家。
1968年、朝日放送テレビドラマ主題歌で歌手としてレコードデビュー。その後、映像プロデューサー、演出家として、数々のテレビ映像の制作に携わる。現在、自己のジャズコムボ楽団を結成し、各方面で活躍中。「生きる」というテーマをライフワークにしている。

作詞・作曲では
「ニライ・カナイ」(沖縄復帰曲)
「夢を呼ぶ島・因島」(因島興し歌)
「夢をくれますか」(筋萎縮性側索硬化症患者の歌)
「生きてる限り」(失語症の患者を励ます歌)
「一度限りの人生に」(阪神淡路大震災被害者支援歌)
「泣かないでホノルル」(ハワイ住民日系人応援歌)
「牛肉の歌」(牛肉協会応援歌)
「帰っておいで喜界島」(喜界島メッセージ)
「もう一度、法善寺横丁」(法善寺横丁支援歌)
「宗右衛門町」「倖せくれる町」(宗右衛門町イメージソング)
などがあり、常に弱者の立場に立ち、福祉支援歌、ボランティア歌の楽曲を作り続けている。

映像、及びイベント演出、プロデュースでは
環境庁長官(愛知和男氏)のVP制作
対馬島の密漁対策のVP制作(日本無線)
原宿プロモーションビデオの制作(ビクター)
大阪の中座2年連続コンサート(全国難病の会支援1998,99)
少年少女合唱団、原宿フェスティバル(主催:厚生労働省)
地球っ子音楽祭プロデュース(主催:環境庁)
などのほか、難病患者を励ますイベントや、環境問題に取り組む映像作りに意欲を燃やしている。

関西の文壇界においても幅広い交友関係を持ち、99年に発刊した「ジミー……流浪のジャズドラマー原田譲二の生涯」(現代書林)は、読売新聞書評欄で高い評価を受けた。
2003年発刊の「すってんころり……緑色の夕日に逢いたくて」(碧天社)は、多くの著名人との交遊録。太地喜和子との恋、本郷功次郎との友情、桂ざこばの誕生秘話など、さまざまに織りなす人間模様が活写されている。

自宅 八尾市山本町北5-6-6 Tel.0729-95-4811 Fax.0729-95-4815


公開協力:暁洲舎

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