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菊村紀彦氏への手紙 (99.8.26)


 拝啓。先日は木々に囲まれた蘭室におきまして、種々の有益なお話とお言葉を賜り、誠にありがとうございました。昨年は四月のみどりの日にお邪魔させていただきましたが、再度、お話を承る機会を快諾していただきまして、本当にありがとうございました。心より感謝申し上げております。
 仏教流伝史の宗教山脈には、秀峰の如き偉大なる方々が、あまた聳えるようにおわします。そのなかにあって、法然、親鸞、日蓮、道元、栄西、一遍といった、世界宗教史上に屹立した第一級の雄峰を望み得る私どもの幸運を、いまさらながら強く感ずるものでございます。
 先生は、日蓮のやさしさ、親鸞の厳しさをご指摘になりましたが、人における性格、個性の妙に、今、思いを巡らせております。日蓮は「桜梅桃李の己己の当体を改めずして無作三身と開見」と申しておりますが、桜は桜、梅は梅らしく、桃が李に、李が梅になりたいなどと他を羨望せず、自分らしく精一杯、自身を輝かせて生き抜いていきたいと念願しております。
 非才を省みず、不遜にも、高く聳える峰々を慕い、宗教山脈に分け入りました。日暮れて道遠く、前途は遼遠の思いでございますが、劫初より作りいとなむ殿堂に、黄金ならずとも、ひとつの釘を打つことができますれば、これ以上の喜びはないと存じます。どうか先生には、これからもご教示、ご教導を賜りますよう、伏してお願い申し上げるものでございます。
 僭越ではございますが、拙著、お送りいたします。菊村先生を初め、諸先達の方々の多大なる学恩を蒙りながら綴りました。ご披見の栄、賜りますれば幸甚に存じます。時節柄、お体お大切に。ご健勝をお祈り申し上げます。奥様にはどうかよろしくお伝えくださいませ。9月6日から、アート・ミュージアム・キンザで開催されます「やすらぎの世界・展」のご盛会を、心よりお祈り申し上げます。まずは要件のみにて失礼いたします。敬具。

  平成十一年八月二十六日

  菊村 紀彦先生

松岡 裕治拝



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