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菊村紀彦氏への手紙 (98.4.30)


 拝啓。風爽やかな「みどりの日」。ご多忙中にもかかわらず、長時間にわたって種々ご教導を賜り、誠にありがとうございました。不躾な当方の質問にも、懇切丁寧にご回答いただきましたことに、心から感謝申し上げます。多方面にわたってご造詣深き先生のお話に、時間のたつのもつい忘れ、長居申し上げましたことをお詫び申し上げます。
 昨年三月から、親鸞についての諸刊行書を読み始め、先生のご著作を拝しまして、ぜひともご謦咳に接し、お話をお聞かせいただければと念願しておりました。ご無理な希望をかなえていただきまして、本当にありがとうございました。お疲れになられましたことと存じます。
 一知半解のままに、親鸞と日蓮には、月と太陽、日本海と太平洋、表日本と裏日本といったイメージを描いておりました。先生のご著作には、もう何十年も前に、すでにアポロ的、セレネー的との表現をなされておりました。親鸞が京都で90歳の生涯を終えましたのは、日蓮が伊豆に流罪されて二年目の弘長二年のことでございました。いわば世界宗教史上の巨人というべきこのお二人が、共に相いまみえることなく、しかもお互いの存在すら知らずにいたことに、歴史の大きな皮肉と不幸を感ずるものでございます。
 もしこのお二人が話し合われていたならば、日本の宗教史、精神史は、大きく書き換えられていたのではないでしょうか。今後、親鸞と日蓮の教説が、お互いに対論し、補完し合うことで、より完璧な教説が構築されることを期待しております。新しい世界の指導原理創出という、そんな夢想と希望を描いております。
 これまで、主に仏教思想史と日蓮の生涯に関心をいだいてまいりました。見果てぬ夢である親鸞と日蓮との対話は、今、我が心の内において成立しつつあります。これからも、先生のご業績を、学ばせていただこうと思っております。
 21世紀は、教団や宗派がなくなるべき世紀、あるいはなくしていくべき世紀であるとの思いを申し上げました。今世紀における人類のさまざまな不幸、その最たるものは戦争でございます。こうした不幸の要因に、必ずといってよいほど宗教が介在しております。もしかして、宗教の存在そのものが、人類の未来の幸せに大きな障害となるのではないかとも思えます。
 巷間、これからは宗教の時代である、とする意見がございます。宗教の語源であるレリジョンという意味での宗教、すなわち人間と神とを「つなぐ」ところに、宗教本来の意義を見て、宗教の機能を相互理解と信頼の絆を築きゆくところに置くならば、21世紀はまさに宗教の時代であって欲しいものでございます。絆とは関係性であり、縁起であるといえるかと存じます。
 混沌たる世界情勢は、今なお低迷を続け、ますます、すさみの度を加える人間精神の危機的状況は、まさに世紀末の様相を呈しているようでございます。現在ほど、人間と人間、親と子、兄弟・姉妹、友人・知人、あるいは近隣・地域社会での信頼の絆が希薄となった時代はないと存じます。
 21世紀のキーワードとされる共生の基底をなすものも絆であり、信頼であると思います。共生は人間の世界だけにとどまらず、人間と動・植物、人間と国土・環境との共生も、今後大きなテーマになるものと存じます。その共生の基本である相互理解を促進し、推進する原動力こそ、文化・芸術であり、なかんずく音楽であると思っております。
 こうした現況下、音楽芸術の蘊奥と仏法哲理に通暁されておられます菊村先生のご存在とご使命はいやまして重く、ご人徳の光彩は陸離として、21世紀を照らし行く不滅の光源となることを、僭越ではございますが確信申し上げております。
 現在日本の宗教教団の存在と、教団間、宗派間における不毛の教義論争や立場的対立は、いかにもナンセンスであり、日本の精神風土の貧しさを示しているように思えます。教団は、人類のコンセンサスたる世界平和、環境保全、あるいは豊かなる文化芸術の創造、教育の振興、生命重視を根本とした科学技術の発展といったことについて、お互いに協力し、共同戦線を張って、共にその実現と成就に協調、提携していくべきであると思います。豊かなる日本的精神の明日を開く親鸞と日蓮の教説を補完し、それを偉大なる世界精神に高めゆくべき営為と努力が、いちだんと求められていると思うものでございます。
 相互理解のためには、正しき相互認識が前提と申します。なべて信仰者は自己に厳しく、真理追求へ、常にみずみずしき求道の心を燃やし、謙虚にして正確なる認識努力をしていかなければならないと存じます。信条・信念をたやすく変更し、相手に合わせるのは妥協であり、阿諛追従であり、野合であることは言うまでもないことと存じます。長年の親しい友、あるいは仲良き夫婦の間柄であっても、許せない部分、妥協できない部分はあってよいと存じます。信仰次元では、お互いに譲れない部分を有していたとしても、現実の人類的課題についての共同戦線は可能であり、共闘は可能であると思います。
 これまで、権力は善意の信仰者を踏み付けにし、利用してまいりました。弱き立場の私共、庶民・大衆は、賛同できない要求に対しては、きっぱりと反対の声を上げ、毅然たる行動を起こさなければならないと存じます。いずれにしましても、現状に満足することなく、社会をよりよき方向へ進めるためには、勇気ある行動を起こしていかねばならないと存じます。一向一揆のように、あるいは日蓮のように。
 長々と無礼なる饒舌を綴ってまいりました。お許しくださいませ。
 お美しく、お優しい奥様には、恵信尼を彷彿させられました。どうぞよろしくお伝えくださいませ。菊村先生と奥様のますますのご健勝を、心からお祈り申し上げます。温かいおもてなしをありがとうございました。初々しい筍もありがとうございました。 敬具。

   平成十年四月三十日

   菊村 紀彦先生

松岡 裕治拝

追伸。
 帰路、日支事変では上海敵前上陸を敢行し、車両部隊で大活躍した八十四歳の戦士に、伊藤左千夫の生家まで案内していただきました。先生のお宅で、月に何度か使っていただいているとのことで、感謝申しておられました。鈍行列車での房総の旅、しばらくぶりに、懐かしきふるさとの原風景を満喫させていただきました。



【菊村紀彦氏 略歴】
 1924年12月15日、東京都大田区出身。
 大谷大学卒、東洋大学大学院仏教学科修士課程修了。
1943年、シャンソン協会創立。NHK音楽番組の構成、作編曲に従事。作曲家。音楽作品に「交響詩曲『郷愁』」「歌劇『親鸞』」ほか。
 歌手・木の実ナナの名付け親。
 現在、日本仏教学院長、仏教書道研究会長、寂光山檀林寺管主。
 著書に「仏教と音楽」「親鸞辞典」「教行信証の世界」「浄土の世界」「釈迦の予言」「地獄と極楽」 「親鸞のことば」「般若心経 読む書く考える」「親鸞・道元・日蓮」「ニッポン・シャンソンの歴史」等多数。CD作品「人生の詩」「心を癒やす唱歌集(1・2)」。
 千葉県東金市在住。


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