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篠笛(能管)山口流開流記念式祝辞(00.8.26)


 神奈川県の川崎市からまいりました松岡でございます。本日はお暑いなか、北は北海道から南は岡山県からのご参集、大変にご苦労様でございます。
 ご来賓の木原様は、スピーチは短い方がいいとおっしゃっていましたが、私は口下手でございまして、短いご挨拶を1時間か2時間ぐらい、させていただきたいと存じます。
 晴れやかな山口流の、希望あふれる開流の船出を、心よりお祝い申し上げます。本当におめでとうございます。

 さて、皆様方には既にご承知かと存じますが、笛にまつわる有名なお話がございます。
 かつて、京の都を荒らしまわった袴垂(はかまだれ)という盗賊がおりました。月の清き夜、藤原の保昌(やすまさ)が笛を吹きながら歩いておりました。袴垂は、保昌の懐の金品を奪おうと、後ろから付け狙っていた。袴垂は、さしずめ現代のストーカーの元祖といえるでしょう。
 しかし、袴垂は、遂に刃を加えることができなかったのでございます。あとでお縄になった袴垂が白状するには、藤原保昌の笛が、あまりに胸に迫るものがあり、かつてこれほど恐ろしく感じたことがなかったと言うのでございます。
 人を斬ることを何とも思わない袴垂も、笛の音に心を打たれました。笛ならばこそで、もし保昌がラッパやほら貝を吹いて歩いていたなら、どうなっていたかわからない。真夜中に、ほら貝をボウボウ吹いて歩いていたら、袴垂でなくとも斬りたくなってしまうでしょう。

 また、皆様方よくご存知の吉川英治さんの名著「宮本武蔵」に、このような場面がございます。第一巻地の巻でございます。
 山に逃げ込んだ暴れ者のタケゾウを捕まえるために、沢庵和尚とお通さんが出かけていく。タケゾウは、誰が行ってもつかまらない。
 夜、たき火にあたりながら、沢庵とお通がしみじみと話します。
 笛は吹く柄からきた言葉であり、柄、すなわち棒状のものを吹いて鳴らすという意味である。笛はそのままが人間であり、宇宙の万象であるという。干(かん)五(ご)上(じょう)ク(さく)六(ろく)下(げ)口(く)の七つの孔は、人間の五情の言葉と両性の呼吸(いき)ともいう。
 お通さん。お前さんは「懐竹抄」を読んだことがあるだろう。「懐竹抄」には、笛は五声八音の器とある……と、このような会話を致します。
 五情の言葉の五情とは、喜怒哀楽怨(えん)。怨とはうらみでございます。笛の孔は、五つの感情の言葉と、男女両性の息であるというのでございます。
 「懐竹抄」は笛に関する古い文献で「群書類従」に収録されておりますが、五声八音の五声とは、宮(きゅう)商(しょう)角(かく)微(ち)羽(う)であり、唇(しん)舌(ぜつ)牙(が)。くちびる・舌・牙と歯(し)・喉(こう)。歯と喉のことでございます。同じく八音は、平調(ひょうじょう)盤渉(ばんしき)黄鐘(おうしき)壱越(いちこつ)双調(そうじょう)太食(たいじき)上無(かみむ)下無(しもむ)のことであり、あるいは八種類の楽器から出る音を申します。八種類の楽器とは、金石糸竹と匏土革木。かね、いし、いと、たけ、ほう、つち、かわ、き。
 笛は、こうした全ての楽器の音を含んでいる最高の楽器、ということでございます。
 たけぞうは、お通が吹く「吟竜」の銘を持つ笛の音に心なごまされ、ついに沢庵に捕らえられます。このように、笛には人の心をなごませ、人間本来の情を蘇らせるという、素晴らしい働きがあるのでございます。

 なべて魂のこもった音は、宇宙の力と、リズムと、ハーモニーを宿しております。音楽とは、神々しい生命の息吹きでございます。ギリシャの哲人・プラトンは「音楽が変われば社会が変わる」と申しました。調子はずれの現代社会、すさみの度を深め、ますます混迷の様相を呈しておりますこのような時代だからこそ、私たちは生き生きと心の窓を開いていきたいと存じます。そして、私たちが吹き鳴らす笛の音色によって、まず私たちが魂の調律、心の調律を実現していきたいと存じます。そして、豊かな心の輪を幾重にも、大きく広げていきたいと思うものでございます。
 笛の音は、人の世の荒き試練の中で過ごす幾多の灰色の時に、私たちの胸に温かい愛の火をともしてくれ、より良き世界へと導いていってくれることでありましょう。より高き自己を探求する謙虚さと素直さ、思索と哲学、そして祈り……こうしたことのない音楽芸術は、いかにもてはやされようとも、所詮、虚飾ではないでしょうか。魂を豊かにしないのではないでしょうか。

 最後に山口家元のお師匠様である六代目・福原百之助先生のお言葉を引用させていただきます。
 「素直な心は、曲に感情移入する最善の前提条件である。笛の音色や調子をかりて、人生模様や人情の機微を吹き現すことが大切になる。そしてそのためには、まず吹き手が正しく曲に感情移入することが大切である。感情移入を可能とするものは、まず豊かな人生経験であり、その人生経験も、触れ合う人と人との関わりに根差したものでなければならない。喜怒哀楽の情、やさしさ、思いやりの心を知り、培うために。 究極は、素直さをもって曲に接すること、それが笛の要諦だと思う」(「横笛の魅力」新芸術社 平成2年刊より)

 山口流ご一門の皆々様の、益々のご健勝とご発展を、心よりお祈り申し上げ、私のご挨拶とさせていただきます。本日は誠におめでとうございました。ありがとうございました。


於:高輪プリンスホテル貴賓館


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