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プログラム・ノート

☆メンデルスゾーン 序曲「フィンガルの洞窟」作品26

 フィンガルの洞窟は、スコットランド北西沖のへブリディース群島、スタッフア島の洞窟のこと。その地方の伝説上の国王の名をとって命名。メンデルスゾーンは、20歳の1829年4月、ロンドンへ演奏旅行に。8月、スコットランドに赴き、この洞窟付近の印象をもとに作曲。翌1830年、ローマ滞在中に完成。32年改訂。ソナタ形式からなる演奏会用序曲で、多分に標題音楽的。ワーグナーがこの曲を聴いて、メンデルスゾーンを「第一流の風景画家」と称賛した。初演は二度目のイギリス訪問の1832年5月14日、ロンドンのコヴェント・ガーデン王立劇場でメンデルスゾーン自身が指揮。喝采を博す。楽譜はブライトコプフから出版。プロイセン皇太子に献呈。

 アレグロ・モデラート ロ短調 4/4拍子

 岸に打ち寄せる波を思わせる第1主題が、フアゴット、ヴイオラ、チェロで提示され、次第に大きく広がっていく。やがてその主題の上に木管楽器によって第2主題が。第2主題が、吹きすさぶ風や荒涼とした岩の姿を思わせるように激しく盛り上がり、静まると第2主題とは対照的な静けさをもっているこ長調の第3主題がフアゴットとチェロで。
 第1主題を主とする展開部が続き、次第に音量を増してクライマックスに。再現部はヴイオラとチェロによって第1主題、クラリネットによって第3主題が再現、終結部のアニマートに入る。ここでも第1主題が主要材料となっていて、曲ははつらつと進み、力強く終わる。

☆モーツァルト 交響曲第40番 ト短調 K.550

 「大阪の道頓堀をうろついていた時、突然、このト短調シンフォニイの有名なテエマが頭の中で鳴った…僕は脳味噌に手術を受けたように驚き、感動で慄えた……ほんとうに悲しい音楽とは、こういうものであろうと僕は思った。その悲しさは、透明な冷たい水のように、僕の乾いた喉をうるおし、僕を鼓舞する」(小林秀雄「モオツアルト」より)
 ランゲ(Josef Lange1751−1831)が描く未完のモーツァルトの肖像画は、人間が生活していく上で、やむなく強いられるあらゆる偶然な表情を放棄していて、この世に生きるために必要な最少限度の表情をしている。ト短調交響曲は、時々こんな顔をしなければならない人物から生まれたものに違いない。
 短い生涯を、駆け抜けるように逝ったモーツァルトが、世を去る三年前に書き上げた三つの交響曲は、39番が1788年6月26日、40番は7月25日、41番は8月10日に完成。わずか1ヵ月半の短期間で出来上がった。
 シューベルトは「この曲からは天使の声が聞こえる」と、涙を流しながら聞き入った。第1楽章冒頭で奏される第1主題。その悲哀の旋律を聴けば、木石のごとき心の持ち主でも、胸打たれるに違いない。たったこの一節の旋律しか書かなかったとしても、彼の名は音楽史の片隅にとどめられたことだろう。
 悲痛は憧れとデーモニッシュな激情とを基盤としながらも、あくまで優雅さを失わず、多くの人々に愛され親しまれてきたモーツァルト。その魅力は、どんな場合でも微笑みとエレガンスを忘れずに、彼の涙や音楽の探淵さを表現する芸術の広さであろう。モーツァルトは、生涯に70曲ものシンフォニーを書いている。18世紀のシンフォニーは、劇場用の序曲から雑多な管弦楽曲にいたるすべてを含んでいた。それは、モーツァルトが父へ宛てた手紙(1782.7.20,27)からも明らかである。その後、19世紀の間に、シンフォニーは音楽会のための曲を指す言葉に変わっていくと同時に、オーケストラの技術が向上し、次第に開幕前のサービス音楽から開幕後に鑑賞する音楽へと発達を遂げた。それが今日でいう交響曲である。モーツァルトのシンフォニーの深遠さは、そうしたジャンルの概念を超えた見事な芸術作品であり、永遠不滅の光彩を放つ。

〔第1楽章 アレグロ・モルト ト短調 2/2拍子 ソナタ形式〕
 トスカニーニは、絹のハンカチをひらひらと落とし、このように演奏するようにと指示したという。
 ヴィオラのさざ波の上にヴァイオリンが歌う第1主題は、この交響曲全体の象徴。序奏を伴わずにいきなり現れて、聴く者の心を強く捉える。第2主題はため息のような下降音階。展開部は密度の渡さで際立ち、モーツァルトの魂の葛藤。再現部の冒頭で木管の半音下降によって聴き手の注意をそらせつつ、第1テーマを再現。

〔第2楽章 アンダンテ 変ホ長調 6/8拍子 ソナタ形式〕
 長調だが、第1楽章以上に孤独な寂蓼感が漂う楽章。第1テーマはヴィオラ、第2ヴァイオリン、第1ヴァイオゾンの順に積み上げられてゆく対位法的なもの。7小節目に現れる2つの32分音符がこの楽章全体に重要な動きをするリズムとなる。第2主題は第1ヴァイオリンによる天使のすすり泣きと微笑み。展開部のデーモニツシュな激情も印象的。

〔第3楽章 メヌエット(アレグレツト) ト短調 3/4拍子〕
 暗く蒼古な趣をたたえた古典舞曲のメヌエット。切分音を伴った固いリズムと、対位法を駆使した音の積み重ねによって、壮麗な大建築物がほうふつし、気高い神のような情念と悲哀が全編にみなぎる。トリオは対照的に甘美な牧歌。

〔第4楽章 アレグロ・アッサイ ト短調 2/2拍子 ソナタ形式〕
 フィナーレの構成は第1楽章と対応。展開部の第1主題動機を、相次ぐ転調とフガートの技法で扱いながら、激情と緊張を作り出す。聴くものの心に、哀惜と秘めやかな興奮と、慟哭の共感を呼び起こすフィナーレ。

☆ブラームス 交響曲第2番 ニ長調 作品73

 第1交響曲が好評を博し、交響曲に自信を持ったブラームスは、1877年6月、避暑地ペルチャツハ湖畔で新しい交響曲の作曲に着手。南オーストリアのアルプスの山々に囲まれた美しい村で、慎重なプラームスには異例の速さで9月に完成。柔和で暖かく、しっとりとした気分に富み、ブラームスの「田園交響曲」と呼ばれる。初演は同年12月30日ウィーン。ハンス・リヒター(Hans Richter1843−1916)の指揮。ブラームスを呼び出す拍手が鳴りやまず、第3楽章が繰り返し演奏された。
 管弦楽の編成は第1交響曲と同様で、フルート、オーボエ、クラリネットなどの用法に進歩が。低弦やファゴットの動きも充実。枯淡で重厚な印象を与える。

〔第1楽章〕 アレグロ・ノン・トロツポ ニ長調 3/4 ソナタ形式
 指揮者で音楽学者クレッチュマー(Hermann Kretzschmar1848−1924)は「沈み行く太陽が、崇高で濁りなき光を投げかける楽しい風景」と形容。温かい気分に満ちているが、どこか一抹の哀愁も漂う。
 第1主題はホルンが奏し、後の経過部に、ほのぼのと優しい旋律が。第2主題はヴァイオリンとチェロに歌うように出る。展開部は、提示部の進行を受けてからホルンの第1主題の扱いに始まり、牧歌的雰囲気を漂わす。やがて対位法的になり、第2主題の変形も加えてクライマックスを築いていく。再示部では、オーボエが第1主題を出し、ヴィオラの経過部の旋律が対位法で絡まる。結尾はホルンによる第1主題の断片とともに弱まり、最後はふくらみのある和音で結ばれる。

〔第2楽章〕 アダージョ・ノン・トロツポ ロ長調 4/4 ソナタ形式
 孤独感にみちた楽章。物思いにふけるような物寂しさを訴えるようなチェロの第1主題で開始。第2主題は拍子を変え、木管で優美に。展開部らしきものはなく、再示部では第2主題の再現を省略。楽章の最後で弦の柔らかい動きのなかで、ティンパニがリズムを刻むのも印象的。

〔第3楽章〕 アレグレツト・グラツイオーソ ト長調 3/4 ロンド形式
 各部の主題は、変奏の技巧を活用して相互に関連。ロココ風で愛らしく親しみやすい。曲中、最も人気があり、しばしばアンコールに。

〔第4楽章〕 アレグロ・コン・スピソート ニ長調 2/2 ソナタ形式
 きわめて生気に富み、第1主題と第2主題は明確に対比。提示部の両主題間の経過部で第1主題を展開ふうに。展開部が第1主題を基調で示す。頂点を築いた後、再示部に接続。結尾は両主題に関連した金管のコラールふうの新しい句で始まる。

(第55.56回「宇宿允人の世界」演奏会プログラム 1993.10.21,26)

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