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モーツァルトの真実?


 借金依頼の手紙が多数残されていること。妻・コンスタンツェの浪費癖。若くして逝き、遺体埋葬場所が不明、などといったことから、モーツァルトは貧乏生活の中で亡くなったとする見方がある。
 作陽大学音楽学部の森泰彦氏は、これに異を唱えられ、以下のように話されている。
 『モーツァルトの遺産を、彼の没後36年目に亡くなったベートーヴェンのそれと比較しても、モーツァルトの方が格段上であった。ウィーン市民全体でみると、モーツァルトは大金持ちの部類にはいることは間違いない』
 『モーツァルトを貧しく不幸な、しかし美しい芸術家に仕立てあげたのは、モーツァルトの死後にモーツァルトに関心をもったすべての人々であり、歴史を構成するはずのいろいろな資料は、このような先入観に応じて解釈され、必要な場合には改竄されさえした。こうした嘘がまかり通ったのは、やはり、天才は野垂れ死にしたほうがかっこいいと、後世の人が“集団リンチ”のようにして、楽しく生きてきたモーツァルトを貧乏人に仕立ててしまったというのが真相である』
 『音楽の聴き手にとっては、あるいは社会にとっては、音楽や音楽家そのものよりも、そこに託した集団としての願望のほうが大切なのである』
 モーツァルトが多額の借金を残したことについては、『本当にお金に困っていたのなら、なぜモーツァルトは贅沢な衣類や家具を手放さなかったのでしょうか。普通は、借りるよりもそういう高価なものを売るべきだろうと考えますね』
 友人の商人プフベルクから何度も借金して、悲痛な借金の手紙が残っていることについても、『商人ですから、あてもなくお金を貸すはずがない。ともかく判明している事実から冷静に判断する限りでは、多額の収入と贅沢な暮らしを楽しんで、社会的にもかなり信用があったと考えなければなりません』(森 泰彦「モーツァルトの世界」作陽学園出版部 1998年刊)
 定説?に異を唱えることに異論はないが、こうした発言を見る限り、そこには、芸術が芸術家の心から生み出されたものであり、凡人と同じような日常生活を営んでいても、芸術家の心の中には無限に広がる豊かな精神世界があることを、ことさら看過させようとする意図が見える。借金に対する見解には、人間洞察と、生活実相に対する認識と経験が欠如しているように思われる。
 いうまでもなく、文献に基づく立証には限界がある。文献学的限界である。文献を読み込み、事実と虚構との隙間を埋めるのは、読む者の想像力にかかっている。資料を自分の側に引きつけて読むのは仕方がないにしても、読む方の人間が人生経験も浅く、人情の機微にも疎く、苦労知らずで、世間知らずであるのに加え、ペダンチックでしかもエリート意識を臭わせて発言するというのはいかがなものか。
 人間は単純な存在ではなく、昔も今も、依然、不可解な存在である。だからこそ人生は楽しいし、人間は面白い。文献や資料の読み込みには、人間の心情や心理のアヤを知った上での理解が必要である。人間史観ともいうべき史眼も要請される。この夏、東京と横浜の四会場を使って開催の「四大文明展」を観展した。4、5千年前から人間は果たして進歩したのかという疑問を抱いた。
 たとえどんなに収入があっても、ザルにはお金はたまらない。
 誰が好きこのんで借金をして、借り方になっていたいか。借金で人に頭をさげるとき、どんなに惨めで嫌な思いをするかは、経験のない者には理解が及ばない。できることなら借金はしたくない。
 持っている物を売ったらいいというのは、売り食いを始めると、あとは破滅しかないという多くの例証を知らない者の言である。モーツァルトに、物を少しでも高く売って生活費にあてるというような才覚がなかったから、それが出来なかったとも言える。高価な衣類を売らなかったことが、贅沢な生活を維持していたという証拠にはならない。人には、これだけは手離したくないという物がある。至高の境地を目指す故に、いつも心が飢餓状態にある人がいる。
 伝説と虚構は、往々にして実像を矮小化する場合があり、アンチ・テーゼから止揚することには異論はない。しかし、芸術家のアラ探しを行い、ことさら気をてらって鬼面人驚かせ、スキャンダラスに発言するだけにとどまるのはいかがなものか。音楽を専門とする者が、現代のマスコミ・ジャーナリズムの多くが持つ心の卑しさに倣うことはないのである。
 文献・資料を駆使した方法論によって、今後、どんなモーツァルトが私たちの目の前に現れようとも、モーツァルトの音楽があまりに美しく、あまりに明澄で、あまりにも悲しいために、様々な思い入れや、推測と願望が入り交じり、聴く人それぞれがさまざまなモーツァルト像を心に描く。それがモーツァルトの音楽が真の芸術であることの証左なのである。
 「大阪の道頓堀をうろついていた時、突然、このト短調シンフォニイの有名なテエマが頭の中で鳴った……僕は脳味噌に手術を受けたように驚き、感動で慄えた……ほんとうに悲しい音楽とは、こういうものであろうと僕は思った。その悲しさは、透明な冷たい水のように、僕の乾いた喉をうるおし、僕を鼓舞する……」
 モーツァルトを哀惜する小林秀雄の有名なフレーズである。
 一夜、若き日の小林秀雄に逢いたくて、道頓堀をうろついてみた。川面に映る七色のネオン。そぞろ歩きの喧騒。呼び込みの声。食欲をそそるタコ焼きの匂い。モーツァルトはいっこうに聞こえてこなかった。聞こえてきたのは、天童よしみが歌う「道頓堀人情」であった。 

(第125回「宇宿允人の世界」演奏会プログラム 2000.09.16)

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