<三国峠>
峠越え甲斐の国から駿河の国へ

 

 甲駿相三国の境にある三国山の山頂北側の峠が、標高1167メートルの三国峠である。
 山梨県山中湖村平野から静岡県小山町竹之下にいたる古道が峠に通じている。ここは、相模、駿河の平地からは数百メートル高いので、戦国時代には軍事上の要地になっていたという。
 日蓮は佐渡流罪の時、上信越三国の国境にある三国峠を越えて、越後・新潟に下って行った。その時から十一年が過ぎ去った今、同じ名の峠に立って富士を望む日蓮の胸中には、当時の苦難のありさまが次々と去来しなかったであろうか。
 上越国境の三国峠からは、はるかかなたに富士を望むことができた。ここでは間近に富士を望むことができる。
 日蓮の生涯を振り返り、その足跡をたどっていくと、日蓮の広布弘教の舞台背景には、必ず富士があった。
 日興が日蓮から相承されたという「産湯相承事」(新版p2229全p878)には、日蓮の母・梅菊は、富士の山から日輪が昇る夢を見て、日蓮を懐妊したとある。
 日蓮は、富士をこよなく愛していたと思う。そして、富士を愛する日蓮の心を最もよく理解していたと思われる日興は、幼少から富士を仰ぎつつ、そのふもとで成長した。富士と日蓮、そして富士の子・日興。ここに奇しき縁を感ずるものである。

 

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